子供のやる気が急降下。原因は「上手くなってほしい」という親心だったのか? 【前編】

びっくりしましたね。いや、びっくりを通り越して怒りを覚えましたよ。

 

念願叶って手にしたはずのBMX。半年もしないうちに「スケボーにすればよかった」「SWICHやりたい」「BMXはなぁ~」とかなんとかイラつきワードを連発し始める息子。

 

ちょっと待て。お前あんだけ欲しがってたじゃん。普通に欲しいとかってレベルじゃなく、絶対的にもうBMXしか欲しくないって感じで欲しがっていたはず。

 

意気揚々とサンタクロースに手紙を書き、四方八方どこからでも目の届く位置にそれを掲示し、クリスマス当日の朝には寝グセ頭でBMXに跨っていた。その時の嬉々とした笑顔はちゃんとスマホに抑えてある。そして、希望に満ちた純真無垢さを目の当たりにした親は一人残らず例外なくこう思うはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「将来はオリンピック選手だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、そしてそのまた翌日。一週間。一ヶ月。がむしゃらに乗った。

 

時間を忘れ、真冬だろうと共に汗をかいた。それは臭いが希望に輝く汗だ。

 

私の指導にも熱が入る。BMX歴は息子と全く同じでど素人の私だが、容赦の無い、そして説得力の無い指導法で息子をオリンピック選手に仕上げんとする私の目は烈火の如く燃え上がっていた。

 

火に油を注ぐようにご自慢の精神論も駆使した。出し惜しみはしない。全てはオリンピックのためだ。手加減などあってはならないと思いつく限りの指導を感情に任せて繰り出す。止まらない。もう自分の力では止められない。感情の波に乗った精神論が猛威を振るう。大地はひび割れ、雷鳴が轟く。そして人類は恐れおののき皆正気を失ってゆく。

 

どうだ。どうだ息子よ。すべてお前のために時間と金と思いのままの感情を注いだのだ。

 

スポンジのお前なら残さず全て吸収してしまっている事だろう。

つまり。

 

 

 

「オリンピック選手になっている事だろうと思う」

 

 

 

気づけば正気を失った息子が一本のモヤシのように立ちすくんでいました。

当初の輝きは鈍く重いものとなり、というか輝きなどと呼べるものなどそこには無く、

熱く燃え盛っていたBMX熱はとうの昔に冷えきっておりました。

 

やる気スイッチは当然のようにOFFとなり、一向にONになる気配はない。力づくでONにしたところでバチンッ!とものすごい勢いでOFF方向にめり込む。

 

表情を失い、ドス黒い暗雲が心を蝕み、筋肉は硬直。おまけに全身の体毛が一気に皮膚を覆い尽くしていった。

 

ん、口元が微かに動いている。なんだどうした。何か言いたいことがあるのか。この非常事態、異常事態を解決するためのダイイングメッセージなんじゃないか。さあ、聞かせてくれ。心の叫びを。

 

 

 

 

 

 

 

SWICH買ってー」

 

 

 

 

 

 

 

なんだこれは。一体何が起きているのだ。なぜだ。その毛むくじゃらの虚ろな目で「SWICH買ってー」を繰り返すのはなぜなんだ。さっぱり分からない。どう見てもこの喋りまくるこの毛むくじゃらが90年代に大流行した「ファービー」にしか見えない。

ファービーだ。あろうことか私はゆくりなくも息子をファービー化させてしまっている。オリンピック選手にするつもりがヒトとファービーのキメラを生み出してしまっているではないか。

 

 

いやまてよ、オリンピック選手がオリンピック選手になる為の通過点としてある一定の「ファービー期間」というのが設けられている可能性は考えられないだろうか。凡人→ファービー→オリンピック選手 というプロセスはごく当たり前の正攻法なのかもしれない。

 

 

 

いや違う。絶対に違う。ファービーは全く関係ないだろう。これは紛れもなく私の指導、いや、指導以前に「我が子をオリンピック選手にしたい!」という一方的な親の願いを押し付けてしまい、感情的に接してきてしまった事が、この邪悪なファービーを生み出してしまった最大の原因なのだ。

 

冷静になればそうだ。世界のトップアスリート達はその競技を愛し、尊敬し、心の底から楽しんでいる。

そして己を最大のライバルとし、昨日の自分に勝つというそれはもう超ストイックな想いがエネルギーの源、それがやる気スイッチなのだ。

轟々としたエネルギーの塊と化したやる気スイッチ。満を持してON!なのだ。

敵は他でもない己自身。勝って勝って勝ちまくれ。その先にはなんの前触れもなくコロン♡とオリンピック選手になるための丸っこいやつが出現するはずだ。あとはそれを掴むだけだ。

 

 

 

最初からすべて間違っていたんだ。

 

 

 

 

という事で、現在では全くと言っていいほど技術的指導はしていません。というかそもそも技術も指導法も知らないので何もできません。できるはずがありません。私にできることといえばパークに連れて行き、利用料をせっせと支払うまで。あとはどうぞご自由に乗ってらっしゃいませ。と送り出しています。

「昨日の己を超えていけ」と息子の背中に目線をやり、遠くから微笑みかけています。ちょっと変なおじさんかもしれません。

 

それからというもの息子の様子が驚くほど変わったのです。つづく。

子供のやる気が急降下。原因は「上手くなってほしい」という親心だったのか? 【後編】

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